山田涼介という努力家

記念すべき山田さんの誕生日ということでこんな機会じゃないとなかなかやらないことをやろうと考えた結果とりあえず山田涼介という人について自分の思うことをなんとなーく書こうと思ったらただの盲目の気持ち悪さしかないブログが出来上がってしまいました。正直自分ですら今後読み返すことがあるのか、むしろ読み返したら恥ずかしすぎて削除する気さえするんですけど山田さんが"その時にしか感じられない感情もあると思うからメモはこまめにとる"と言っていたのでわたしの今感じているものを残そうかなと。自己満でしかないんでおそらくこれをきちんと最後まで読み切って下さる方とかいないと思うんですけどもしいらっしゃったらバイト終わってから約1時間で書き上げたみたいなもんなんで文のまとまりのなさ文章力の低さはじめ誤字脱字にも目をつむっていただけるとありがたいです…


1993年5月9日23時13分、この瞬間、山田涼介という1人の少年がこの地球という星に誕生しました。幼き頃は母親が謎の大五郎カットをさせたり喧嘩中バットを持ち出してきた姉に余裕ぶっこいて間合いつめてたらまさかの柄の部分で攻撃されたり妹との喧嘩中には頬を引っかかれたり(ちなみにこの当時つけられた傷は未だに各方面から絶賛される山田さんのすべすべなお肌に跡を残しています)カブトムシを集めていたら100匹を越えお母さんに「もう採ってくるなって言ったでしょ!!!」と怒られるも「涼介カブトムシ採り行こうぜ!ククク」とヤンチャなお父さんと共に朝4時に近所の森へと繰り出したりとごく一般的(?)な生活を送っていた山田少年も今では多くの後輩、Jr.から尊敬と憧れを抱かれる存在となりました。中島健人小瀧望松田元太、井上瑞希、吉澤閑也、岡本カウアン、永瀬蓮、情報をこまめにまとめたりするこのとないわたしでもこれほどの名前が出てきます。なぜ山田さんがこれほどまでに多くの後輩に支持されるのか。それは少なくとも山田さん本人の口から語られる"努力"という言葉の多さが関係しているのではないかと思います。
"陰ながらの努力"という言葉を耳にすることがありますが、自分のことを自らの口で語らず謙虚であることを美学とする日本人において努力とは周りにアピールするものではなく1人黙々と積み重ねそれを見ていた第三者によって語られそこで初めて評価されるものという認識があるように思います。自ら語らない美学。そして実際過去にインターネット上で山田さんの口から語られる努力エピソードについて"努力アピールしすぎ"というような批判的な意見を目にしたことが何度かありました。しかし自ら口に出して表に出していく美学も場合によってはあるのではないか、第三者によらず自ら語る美学もあるのではないのかと。確かに一般的な会社などで自分の努力したことを話しても「努力くらいみんなしてるしだから何」の一言で片付けられてしまうかもしれません。しかし芸能界という華やかな世界でさらにアイドルという絶対的にキラキラした存在として生きている彼らにとっては"誰にでもできる"その努力により自分の居場所を確立したということは自分でも同じようになれるチャンスがあるという希望に繋がるのではないのか。芸能界で活躍する人によく言われる言葉に"オーラ"や"スター性"というものがあります。そして"運"。確かに芸能界で生き残れるかを左右する大半はこれらが占めているのかもしれません。しかし完全にそれだけではない、生まれながらに持ったオーラやスター性、運はないけれど自分次第で得ることのできる"努力"がまだある。山田さんが自らの口で語ることによりそう思い頑張ることができ、そしてそれが憧れに繋がっているのではないかとわたしは思います。
そして何よりもわたしが言いたいのが山田さんは褒められたり誰かに評価されたいがために努力エピソードを語っているわけではないということ。これは完全にわたし個人の憶測でしかありませんが過去の自分をきちんと知ってもらうためにしている、そういった感覚で話しているのではないかと思います。これは決してそういった人たちを批判しているわけではありませんが事務所に入ってすぐにマイクを持たせてもらっていたり前列で踊らせてもらえていた人がたくさんいた中で決して自分はそうではなかった、最初から自分の立ち位置というものが用意されていたわけではない。自分がここまでくる過程のことをきちんと知った上で今の自分を、そしてこれからの自分、山田涼介を見て欲しい。そういった想いから発信されているのではないかと。とてもニュアンスで申し訳ないのですが山田さん自身も「自分が努力した年月が決して長いほうではない」というような事を話していますし自分が誰よりも1番努力しているというようなことを言いたいわけではないと思います。もう極論を言ってしまえばわたしは山田さん本人の口から語られることは全て肯定的に受け入れていくスタンスで応援してる重いヲタクなんですけど。
最初のどうして山田さんが多くの後輩から憧れの人として名前があがるのかという話から最終的にわたし個人の勝手な意見になってて自分でもまじで何が言いたくてこれ書いてるのかわからなくなってきたんですけど。過去の努力があったから今の山田さんがいるわけであり、そしてその過去の努力は(他の人と比べてたくさんだとか程度の話ではなく)事実であることには間違いないわけで。やはり"努力"という単語は山田涼介という存在を語る上で外すことのできないものであると思います。きっとわたしたちが未だに知らないこれまでの過去の努力もあるだろうしわたしたちが知ることのないこれからの未来の努力もあると思います。今後山田さんの口から"努力"という言葉を聞くこともないかもしれないし山田さん以上に努力していた話を他のメンバーなどから聞くかもしれません。それでもやはりわたしの中で"山田涼介=努力の人"という方程式は絶対的なものであり続けると思います。
これまでの努力により、そしてこれからの努力によりさらに成長していくであろう山田さんへ、山田さん自身による連載の中から借りてこの言葉を最後に。

山田涼介に幸あれ。